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第6回総会(平成17年4月18日開催)講演摘録
第6回総会(平成17年4月18日開催)講演摘録
「歴史と文化の高度集積地区~絵図で見る城南の歴史~」
講師:鳥羽重宏宮司 (城南宮宮司)
1.地域の発展に関する最近の動向
古今和歌集に鳥羽の地名を詠み込んだ和歌があるが、ここでは鳥羽は「とば」、すなわち「とわ」(永遠)の掛詞として用いられており、今日は「絵図で見る城南の歴史」と題して、永遠の発展が期待されている京都南部地域のイメージについて話をしたい。
鳥羽の港は、一寸法師が都で一旗あげようと大坂の住吉の浜辺から淀川を遡って降り立った場所である。淀川水系を通じて、なにわの海、瀬戸内海、遠く海外に通じ、また木津川を通して奈良にも通じる港湾として賑わったところである。
また、港から都の正門である羅生門まで『鳥羽の作り道』という幹線道路が築かれ、外国の使節もこの道を通って都に入ったとされる都への玄関口であった。
城南離宮は白河上皇が鴨川と桂川に挟まれた美しい水辺の土地に、当時の最新の土木技術を用いて築いたものである。
このように、当時高度集積地区のあたりは、都の南の交通の要衝であると同時に、上皇が院政を摂ったところでもあり、まさに都の副都心として栄えたところである。
その後、時代が進んでいくが、この鳥羽、伏見を中心とした京都の南部地域は常に時代の表舞台にあった。
都が移り、鳥羽の港から人々が平安京を目指したのは西暦794年、城南離宮の主となった後鳥羽上皇が院政を開いたのは1198年、太閤秀吉が伏見城を築きだしたのは1584年であり、400年周期でこの城南の地は大きな賑わい、歴史の転換期、発展の節目を迎えている。そして秀吉から400年を経て、今まさに新たな城南の歴史が始まろうとしている。
高度集積地区は、歴史と文化においては既に超一流の資源が集積している。地元の方々や企業の皆様がこのような1000年の伝統を受け継いでいるという自覚と自信を持ち、さらに100年先を見据えて、魅力あるまちづくりを進め、この城南の地の新たな歴史を造っていかれることを期待している。